「丹波の赤鬼」の異名をもつ荻野悪右衛門は戦国大名の中でも、数々の名高き大将の筆頭にあげられる程の、強くて勇猛果敢な武将でした。
「悪右衛門」の「悪」は当時、強いという意味から名づけられました。丹波黒井城を居城とする荻野悪右衛門は数々の合戦を経て丹波奥三郡を支配下に置く、堂々たる戦国大名となりました。後の織田信長の命を受けた明智光秀との合戦で、光秀軍を退けたことにより、「丹波の赤鬼」と恐れられるようになりました。
この、続日本百名城でもある山城の黒井城跡は現在、麓から徒歩約30分で登れ、山頂では秋の早朝に丹波霧で覆われた雲海が360度に見渡せる絶好のスポットになっています。また、地元住民で構成される「黒井城甲冑隊」のみなさんは手作りの甲冑を身にまとい、地域のイベントで活躍されています。